本日の一曲No724:迷宮のレンブラント~アイネ・クライネ・ナハトムジーク

許されると無くなる欲?・・・。

先日、美術館に絵画の鑑賞に行きました。
有名な海外の画家達の絵が揃った展覧会だったのですか、
混む事を予想して、普段の日に仕事帰りなら空いているだろうと思って出かけました。
幸い、職場から美術館は車で5分ほどの距離。
仕事で疲れてはいたのですが、この近さに誘われて?思い切って行きました。
駐車場の入り口まで行ってびっくり。
ガードマンが数人出ていて、殆んど満車状態。
観光バスも停まっていました。
でも、さすがに中は混んでなかったので、
この時間の選択は正解だったかなと。

そして、更にびっくり!
何と、殆んどのお客さんが、スマホやカメラで絵の写真を撮っていたのです。
そんな事は当然禁止だと思っていた私は、思わず「えっ??」
て感じだったのですが、皆さん許可されている事を知っていて来ているみたいで、
本格的なカメラを持ってきている人もいるぐらい。
係りの女性も何も言いません。
フラッシュさえ焚かなければ撮影OKだったようです。
私はカメラは勿論、携帯さえ持っていなかったので一枚も撮りませんでしたが、
手当たり次第に(失礼、選んでらしたかも)写真を撮っている人たちを見ていたら、
何だかカメラの記憶に対抗しようとしている自分がいました。
心の中で、”この場限りしか見られないからいいんじゃん”
とか、”いくら良い機材で撮っても、実物の色合いとかは残せないよ”
とか、思っている自分がいて、
最初は携帯でも持ってくれば良かったと思っていたのに、
持っていても撮らないな、撮りたくないと思っている自分がいたのです。
ただの僻み?ひねくれ者?あまのじゃく?
そんな風にも思いましたが、
私は特別その絵たちに造詣が深いわけでもなければ、
美術品に詳しいわけでも何でもない。
だから、残せると思うと、見ている時の気持ちがいい加減になるというか、
集中力が欠けてしまう気がしたのです。
それに、期待して行った割には気に入った絵が無かった事もあるかもしれません。
丁度一ヶ月ほど前に、同じような作家達の絵を集めたギャラリーを見たのですが、
小品ばかりとはいえ、そちらの方がいいなと思える絵がたくさんあって、
もう一度行きたいと思っているぐらいです。
(しかも無料!)

それにしても、撮影OKってどういう事なのでしょうね。
今はネットで色んな情報が流れていて簡単に手に入る時代です。
規制したところでとっくにネットに上がってるという事でしょうか。
それに、所詮は素人が撮る写真に実物に迫るものなんで撮れないという事?
絵画の展覧会に行くといつも思っていたのは、
パンフレットなどを見たとき、今どきどうしてこんなにも実物と違うのかっていう事でした。
私はわざと画質を落としているのではないかと思っていたのですが、
今回の館内の様子を見て、美術館へ絵を見に行くという事が、
目的が変わっていくのだなと思えました。
それも時代なのでしょう。
否定するつもりもありませんが、
私は個人的に美術館へ実物を見に行くとき、
それはその作品たちとの一期一会。
その美術館にあった、その時のその絵の印象を大事にしたいと思います。
写真のように細部にまで記憶に留める事は出来ません。
むしろ、殆んどぼんやりとしか覚えていないのでしょうが、
その曖昧な記憶の中で思い出せる感覚が、
きっと自分にとって一番気に入ったところであり、
好きなところであり、何かしら心に残った部分だと思うのです。

本日の一曲No724:迷宮のレンブラント~
セレナード 第13番 ト長調 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 K.525/第1楽章(モーツァルト)

1997年のアメリカ映画です。
音楽はジョン・オットマン。
今回は劇中で使われていたクラッシックから、こちらを。
最近、画家をモデルにした映画が多いように思いますが、
この映画、面白かったです。
贋作の作り方、こだわりの凄さとか・・・。
本物過ぎて駄目だったり、技術イコール芸術ではない妙味とか。
先日、岡本太郎美術館に行ったときに流れていたビデオの中で
太郎氏が言っていた言葉を思い出しました。

今年は絵に触れる機会が多いです。
自分も久しぶりに絵が書きたくなりました。
が、何の為に書くのか、何を思って書くのか、
などと、画家でもないのに理屈が先走って、結局ペンは動いていません。


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック